女閨訓-明治39年(1906)刊行
 明治時代に女性により書かれた、女性のための結婚教育啓蒙書。
 著者:江木欣々、明治10年(1877)生まれ、愛媛県令(今の県知事)の次女、法律学者・江木衷の妻。

女閨訓 序

往昔より女大学を始めとして女庭訓、婦徳女子の本文、妻たるの道を教え示せる書は枚挙に遑あらず。 然れども未だ曾て閨房裡の女子の心得に就きては親切に之を説き示せる書、甚だ尠し。
仮令ありとするも。 所謂春画淫本の類にして、真面目に此の人倫の大道を説けるものは殆ど之を見る事なし。
夫それ閨房は男女両性相抱きて臥し、妻が情炎の坩堝に夫の精根を溶かし、大にしては以て人間子孫の大業を立て、小にしては実に一家和合の微妙なる根本を為す所なり。
太古は此の道公明に行われ些も愧ぢ卑しむ風なかりものなり。
我が国開闢の始め諾冊二柱の神が八尋殿に於て男神先ず唱へ、女神之に和して寝処の交合を為せし事は、古事記にも明に記す所なり。 孟子も亦、男女室に居るは人の大倫也と教へ何人も其の事の当然なるを怪しむ者なかりき。
然るに中古に及び文物次第に盛なるに及びて風俗徒らに形式の礼に趨り唯其の相抱ける態の醜きが故を以て、之を賎しむべきもの愧べきものと観ずるに至り、之を口にするを憚るのみならず、此の大道を行ふ事を以て窃盗の業を為すが如く、只官人に秘め隠し些かも外に洩れんことを怖がるゝが如き風になれり。 何ぞ其の誤れるの甚だしきや。
再び云う、夫婦相交るは人倫の大道なり。恣に人の女を犯し、人の妻を奪わんことこそ恥として隠れても行はざれ、我が夫と共に臥し、我が妻と共に楽しむに何の懼れ隠ゝ事あらんや。 隠れて事を行はんずる時、必ず邪悪の因て乗ずる処となる。 即ちこれよりは表面こそ謹厳端正を装ひたれ、閨裡の人倫は大いに乱れ、邪淫却て、其の芽を発し遂に男子は隠然として多妻の風を生じ、女も亦従つて我が夫ならむ夫を重ねる等の事漸くしげくなり、其の風延いて今日に及ぶに至れるなり。
仰も人の一生は唯だ色食の二慾を離るゝ能はざる故に生きくるなり。 食慾なければ直ちに死に至り、色慾なければ家内和合せず子孫断絶す。 若し人皆悉く色慾を失へば、百年を出ずして此の世に人間の種絶ゆるに至らん。 道の教、仏の教、精神の力もさる事乍ら、人間滅びなば茲に何の道か之有らんや。
今若し茲に人一身の養生を説くものありて、如何に唯鍜錬の道をのみ唱道するも、飲食の事に留意の言及ばざれば畢竟空しき徒事なるべし。 同様に茲に亦幾何の女子修身の書ありて、千万の言を連ねて婦道を教え、婦徳を説くも、云う所閨房の事に及ばざれば、仏つくりて魂を入れざるの類にて何の修身済化か之あるべき。 蓋し一家和楽一族の繁栄皆悉く閨房に端を発するが故なり。
然るに閨中のことたるや、曾て世間に誤りてこれを卑しむべきこととなし、口にするも愧づる風になりてより、何れの書も之を説かず、師父も之を教えず、即ち尋ね学ばんとするとも拠るところなし。 之を以て子女往々不知にして嫁ぎ以て身を過り、家を破るに至りる者たたあり豈嘆かざるべけんや。 乃ち此の書は專ら子女の為に閨中の心得を説かんする所以なり。 他の婦徳に就ては自ら他に書あるべしと云爾。 明治丙午四月下浣

閨中一般の心得

夫れ男女交合して一体となるの原理は、凹なる処を凸なる物もて補うにあり。 古事記の所謂、成り成りて成り余る処を、成り成りて成り合はざる処に刺塞ぐなり。 然れども只単に男根を女陰に刺込むのみにては素より楽しみに至るものに非ず。 必ず動揺摩擦して熱を生じ、其の熱男女の心肝を貫き茲に大いに精を洩し気を逝りて始めて快味の極致に至るものなり。
夫には專ら此事を楽しまん事に一心を傾け、些も他念あるべからず。 殊に女子に於ては如何にすれば最も夫を歓び楽しむるを得るか、念々此事を想ひ廻らすべきなり。
凡そ男子女子を娶りて一家をなし、面も尚他の女に心惹かるゝ所以は多く閨中の楽しみに不満あるが故なり。 男も年若き程こそは女の顔貌の美しきのみに心を奪はるれど中年に至れば女陰の宜しきに趨き、閨中の 饗応巧みなるに心を傾くるものなり。 故に或いは美人の妻を有ち乍ら醜婦の妾に溺れて、妻を弧閨に泣かしめ、或いは夫婦の間に子迄ありながら、家を捨て情婦の許に走る等は皆悉く其所以にてあるなり。
往昔は藤原氏の朝に各家競って女御を進め、其の中より選ばれて皇后に冊立さらるゝ慣例なりき。 故に各家ともに心を專ら閨中の巧謀に用ひて以つて玉尊の御感に叶わん事を希ひ、其の娘を女御に進むに先立ちて遊冶放蕩の風流人を求め娘をして親しく閨中の秘術を学ばしめしものなりとぞ。 然らば其の巧謀とはなんぞや、詳細は後章に譲りて今其一般を説かん。
凡そ男は早くより交合の楽しみを解するものなれども子女は然らず。 子供の一、二人も生めるか或いは二十七、八 乃至三十にならざれば身も魂も溶くる許りの心の快味を感ぜぬものなり。 之を以て夫求むる事を五月蠅うるさく煩はしき事にのみ思ひなし、其の都度快き顔せぬ事もあるものなり。 又仮令これに応ずるとも嫌々ながら体のみ貸して夫の仂に委せ、少しも情を移す事なく唯早く事の済めよかしと念ずる等の事もあるものなり。 然る時には凡そ夫としては如何ほど不満か感ずべき。 夫にして他の女を想ひ以て一家破綻の基を為すほど皆斯かくの如き事に拠るものなり。

夫の求めに快く応ずる事、これ易きが如くにして難く実に女子閨中第一の本分。 簡単なるが如くにして然らず、実に一家の根元も係わる所なり。 乃ち夫の求めに遇はば、時と場合の嫌なく笑顔を以て快く之を迎へ、先ず抱き付き口を吸ひ、舌を吸ふべし。 交合の前と後に口を吸ふは閨房の祝儀にして、前に口を吸ふは我を可愛がりてよと願ふ意にして情を移すなり。 後に口を吸ふは夫の労をねぎらひて感謝の礼を尽くす意味にてあるなり。 抱付き口を吸ふ乍ら夫の前を探り、男根を握りて温かく軟らに締めつ弛めつ持ち兼ねたらん態わざにて我が前に当てがい、其の雁首にて二、三度我が吉舌を擦りつゝ静かに腰を揺り出して陰門に迎ひ入れるべし。
斯くの如くに迎えられなば如何な男か其の妻を憐しと思はざらんや。 仮令昼の中に些の風波ありて不快に思ひたらん事等も真に雲散霧消して心身共に和合するに至るべきなり。

第二には、唯夫の求めに快く応ずるのみならず、進んで我より之を求むる時は大いに男の心を欣ばしむものなり。 敢て露程も口に出さざるとも、或は入れて欲しき態にて脚を絡みて抱き付き或いは夫の前に手を入れて静かに之を玩ぶべし。 総じて男に其の心なき時は男根小さく軟かきものなれど弄ぶに従つて堅く大きくなり、遂には其心も出て来るものなり。 昔の女は此のことを欲せざる風することが静淑にして慎しみ深きものなりと考えたる様なれどそれは最も誤りなり。 妻女余りに堅苦しく閨房味気なき時は、夫は必ず遊女等の面白さに心引かるゝに至るべし。
遊女の手練手管と云ふも他になし、誰よく男の欲する処を察して我より巧みに持掛け取りなすに在るなり。 夫の心を見るの明の、正妻にして遊女に劣らば如何に口惜しかるべき。 されば女たりと我より夫を誘ひ持掛くるもよき事なり。 仮令眠りに就きたる後と雖も静かに探りて之を弄び、其堅く大きくなるを持ちて我から仕掛けて、女陰にくわへ込みひしと抱付きて夫を目覚まさば、夫も亦其思ひがけざる歓待に驚き喜び狂はん許りに感謝の念を以て之を迎ふるは必定なるべし。
殊に夫が心を他の女に思ひ或いは他処に情婦等の出来たる折は一層気を付けて屢々我より持掛け夫の情を取り戻す様につとむべきなり。 斯る時には前に述べたる様にして無理にも毎夜の如く乗り掛けて其精液を吸ひ取り常に夫の精の臓を空にして置く時は夫の心に他の女を想ふ余裕なくなり我身のみ可愛しと思ふ様になるものなり。

第三には、交合の間一々其の感情を言葉に出して云ひ表はす事なり。 之又大いに夫の心を楽しましむものなり。 飲食の馳走にても御世辞と云ふものある事なり。 何を馳走しても好きとも美味しいとも云はざれば張合の無きものぞかし。 されば「快し」とか「恋し」とか、或は「もつと奥の方を強く突いて」とか「口許を擦りてよ」とか、様々注文するも亦夫をして張合あらしむる所以

第四には、よく調子を合わす事なり、夫が腰を大腰に寛く使はば我も緩く揺り上げ、小刻みに早くする時は我も亦速くし、一般に夫の抜き上げる時は我は腰を引き、夫の突込む時は我は腰を持ち上げて女陰を擦り付ける様にして受くべし。
斯くの如く揉み合わせ、将に夫の精液洩れ、気逝かんとする時は、我も亦無我の境に入りて夫と一心一体とならん様に努めべし。 凡そ男気が逝き精の洩れんとする前には、必ず気管荒々しくなりて、強く抱き締むるものなれば、其時を良く心得て我も亦力の限り抱き付き下より舌を寄せて夫の口を吸ひ同時に息を詰めて恰も尿を堪ゆるが如くして陰膣の口を引締め、男根を吸ふが如く締るが如く歓待すべし。 凡そ男は女より強く抱締められるを最も悦ぶものなり。
斯くて今将に気の逝く時には、仮令今我身は快くなくとも、夫呻かば我も亦呻き夫声を揚げなば亦声を揚げて其楽しみを助け、共感を同ふする様に心掛くべし。 凡そ交合の前後を通じて一般に心得べき事は専心なるべき事なり、他念あるべからず。 世間往々にして余り動揺しては舅姑の之をさとらん事を懼れ、或いは息音を荒くし呻吟声を揚げては来泊の客の聞かん事を慮り、或いは不時に之を為しては召使の見ん事を憚り、戦々恟々として之を始め息を凝し、音を忍びて恐々として終わるものあり。
斯くの如きは実に自然の感情に反するものにして身を破り心を害ふに至る。 不義不道ならば人に隠す要もあらん。 苟も夫婦和合の道を行うは人倫の大本也。 公明正大にして愧づる所なく、何人も夫婦にして交合を行はざる者ありと思惟する者あらんや、宜敷一切の懸念を避けて自然の心の儘に充分其快楽に没頭すべきものなり。
更に心得べきは其事終りて後のことなり。 既に男根を抽出し、我ものを拭き終れば万事畢れりと思ひて、直ちに眠りに就くは洵に心なき業なり。 凡そ男一度その精液を洩らす時は心身共に大いに疲れるものして、只単に腰を動かすのみなる女子の疲労とは同断の比に非らざるなり。
されば我を可愛しと想ふ許りに斯も疲れしと思ひ遣りて、夫のものをも丁寧に拭ひやり、改めて再び犇と抱締め強く長く口を吸ひて其労を慰むべし。 然る時は大いに夫の元気を回復せしむるものなり。 それより夫の眠りに堕る迄は其眠りを妨げざる程に静かに男根より陰嚢に掛けて優しく按摩をなすべし。 之肝要の事にして妻たるもの忘るいべからざる本分なり。
男は交合の後は一般に其余りに疲るるが故に後にて悔ゆる至るものなり。 其時に当たりて斯くも手厚く慰め労はるる時は、初めて我妻に対する感謝の心湧然として起こり其念は軈て一家和楽の基を成すと知るべし。

新婚の心得

婚礼は男女共に最も重大なる儀式にして、一生の幸不幸は実に此時に於て定まるものなり。 殊に女子に在りては結婚初夜の振舞は永く夫の心に残るものなれば、従来一家の和楽なるか否かは実に此一夜に係わるものと知りて充分心を用ふる要あるべし、昔は婚礼の夜、交合の道に就いては男女共に未知なる者多かりしを以て、予め母親若しくは仲人より懇々仔細に渉つて其道を説明されしものなり。
今は大抵女子が仮令知らずと雖も学問道拓けたるが故右の要なくなりて、只女は男の為すが儘に身を託せよといふに止まりたり。 然れども只身を委ねると云ふのみにて 人形を転がしたらん様に味気なければ 男の心楽しからず。 况んや愧しさの余りにもせよ男を押し退け、或いは其手を払ふ等する事あらば、一生夫の心に不快の種を蒔き、一家の和合を欠くに至るべし。
総じて生娘の心は美しき夢をのみ見るものにして、交合の道などは醜きもの、穢れたるものとして触れざらんとするものなり。 されど一旦人の妻たらん事を約して其家に臨まば、先ず第一に其の考えを変える事を要する也。
即ち、交合の道こそ天地人倫の大道にして、男女共に其身心の足らざるを補う道なれ。 太古の神々も我が父母も皆交合の道に依りて子孫創造の大業を立てしなりと思ひ、悦び進んで此道に従はん事を希ふべきなり之第一に心懸くべき事なり。 近来は西洋の俗風入り来りて婚礼儀式の夜直ちに新婚旅行に出掛け、旅館ホテルにて初夜の交合を行う人あれど、我が国の貞淑の風には適はぬ也。 我国一般の習慣に就て云へば新婦は新郎の家に至り、三々九度の盃、親類、縁者の盃事滞りなく済ませば仲人はよき折を見計らひて夫婦を寝所に導入るゝなり。 其処には床一つ枕二つあり、新郎は其上に座して床固めの盃をするなり。 次に女仲人は先ず新婦を厠に案内して連れ帰る。 昔の仲人なら新郎新婦床に入り交合を行ふ迄何くれとなく細かに世話せしむものなれど今は男仲人は次に新郎を厠に案内するに連れ出して再び来らず、 女仲人は新郎の厠に行き居る間に、新婦をして寝衣に着更へさせ床の枕上より見て左に方へ右手を下にして臥さしめて後は直ちに寝所を出づる習ひとなれり。
斯くて新婦は独り静に新郎の入り来るを待つ、軈て新郎帰り来り寝衣を更へさらえて床に入り新婦と向き合ひて臥す。 之極めて大体の順序にして土地に依り種々特別の習慣ありと知るべし。 此の時愧かし等思ひて顔を叛け、或は袖にて蔽ふ等の事はすまじきものなり。 又新郎が我が身を引き寄せ寄り添ふ時に身を退くものに非ず、皆忌む事也。 腰を引き丸くなる寝方をせず、自然に正しく横に臥すべし。 新郎若もし心利きたる人なれば様々の世間話などして新婦の心落着くを待つものなり。 此時は若し問はれし事は明瞭に答え、我よりも心暢やかに居るべし。 徒に羞かみて返事せぬ等の事は極めて悪し。
物慣れたる新郎は斯くて様々話し乍ら先ず左手を我が枕の下に差し入れ、肩を抱へて抱き右の手にて裾を開き、肌を腿より上の方に臀迄撫で上げると共に、裾を払ひ除け肌と肌とを犇と抱き寄せ口を吸ひ舌を吸ふ。 其間に右の膝頭もて我両脚の間に次第に割込む也。 斯かる折も脚を締め、股を窄まて恥らふ如きは決して夫に対する礼に非ず。 男の膝の進むに任せ徐々に股を開くべし。 何事も力を出して抗ふ事は避くべきなり。 次に夫は右手を股の間に差し入れ静に女陰を撫廻し、指にて両の淵を開きて吉舌を擦り更に指を以て、特に人差し指と中指の二本にて、但し一、二人子供を産める女子には薬指とも都合三本を以て様々に 弄廻せば思はず玉門自ら潤ひ湿り来る事は我身にもそれを感ずるものなり。 其時初めて我身も両手にて夫に縋り付き、余は何事も何事も男の為すが儘になるべし。 軈て男は其儘我が身を押して仰向けにし、両膝を立てゝ我身の股間に入り両腿にて我股を開きつゝ我身の腹に重なり臥し、右手に男根を持ち添へて当てがふなり。
初夜に在りては新婦が我手にて男根を持ち添へて導く等の思ひも寄らず。 両手は唯懸命に男の脊を抱くべし。 凡そ生娘の陰門には処女膜と障へるものありて其門の下半を塞ぐが故に平生は殆ど僅々一指を通ずる孔あるのみなり。 然るに最初の交合にて初めて逞しき男根を受くるに当た此膜破れ列痛を感じ、多少の流血を見るものなり。 処女膜は自己の手淫に依り、若しくは高所より落ちたる場合、又は体質に依り種々破れる原因もありて強ち男根を受けて初めて破れると許り定れるにみに非ず。 之何人にもある事なれば驚き騒ぐ事あるべからず。
男其の男根を陰門の口に臨ますや両手を我身の脇の下より入れて肩を抱き痛みに依りて我身の床より乗り出すを押へ次第に腰を動かしつゝ入るゝなり。 此時は我身も亦多少の痛みは堪え忍びて少し宛腰を揺上げて男根を迎へ受ける様にすべし。 女陰既に潤ひたれば、一旦口許を通り過ぎる時は最早さほど痛まず男の激しく抜き差しする摩擦によりて、次第に何となく手足の疲れる様な感を覚ゆるもの也。 夫の腰の動き、次第に早く激しくなるや鼻息荒々しなりて我身を押潰すほど犇々と抱き締め、急に仂を休めて唯腰と腰を確かり押付け太く溜息を吐くに至るべし。 此の時は即ち男の精液洩るゝ時にして熱き液汁こそ、云はば男の分身にして子孫繁栄の根元なれば、我身もよく心して抱きつゝ女陰の口を締め付け大切に之を吸い受くる様にすべし。 之にて初夜の交合は終わりたる也。
以上は心利き物慣れたる新郎に就て述べたるなり、されど新郎初心なるか又は、未だ女陰の湿ふも待たず無二無三に見当もなく男根を突き掛け来る事あり。 斯かる時は斯くあるべきものと思ひて我人差と中指に唾を充分に塗り付け之を陰門の口に塗廻し湿ほし、静に男根を手に把て口許迄導くべし。 然らざれば思はぬ怪我をする事あるものなり。 或は又余りに世慣れたる通人つうじんは初より床に入らずして、先ず夜着を捲り我身を仰向けにしてその側に座し遠慮もなく裾を披き両手にて股を拡げて熟々と女陰を眺め、舌もて之をねぶる者あり。 斯くの如き事は生娘にとりては恥しき限りなく、穢けがしく厭いとはしき事に思ひなすは道理なれど、夫婦とならば斯かる事も亦当然の事なるべしと思ひ諦め、眼を閉じ拒まず抗はずし其の為すがまゝに委すべし。
されど舌を以て吉舌や陰門の口を様々舐められ吸はるゝは何となく悪きものにあらず。 次第に陰中むづかゆくなりて、えも云はれぬ心地ここちすべし。 斯の如くする夫は総じて女を可愛がり大切にするものなれば、交合の時にもよく心を籠めて歓待し将来の和合こそ願ふべきものなり。 たとへ初夜の交合と雖いえども跡の始末をするは女子当然の努めなり。 前に述べたる如く夫既に精水を洩らせる時は之にて交合の終りなれば、その時男根をまだ抜き取らぬうち紙二、三枚を男根の根本に捲き静かに夫の抜くを待つべし。 然る時は抜くと共に男根自ら拭はれ、我身も亦その全く抜け去ると同時に手早く其紙を以て陰門を塞ぎ、之に詰め込みて先ず精汁の流れ出づるを防ぎ、然る後に他の紙を取りて徐に清掃すべし、斯かる些細の事にも知らざれば取り乱す事もあるなり。
初夜の心得は右にして大体尽きたれど、凡そ新婚一年ばかりの間は何人も其の妻を最も可愛く珍しく思ふものなり。 故に毎夜一度の交合を以て尚満足せず一夜に二度或は三度、加之ならず昼日中にも亦之を求むることもあるものなり。 斯かる時はその時と場合を問はず、快く笑顔を以てこれは従ふべしとは前に一般の心得として述べたる如くなるべし。 更に又珍しきまゝに様々の仕方にて行はんことを求むとも、如何なる業にても唯快く夫の欲するがまゝに従ふべし。 まことに一生の禍福一家の和合は新婦の一年にて分るゝものと心得家内和合の基は実に閨房の裡に開かるゝと云う事夢にも忘るべからざるなり。 唯身体に碍ある時の心得に就ては後に又それを記すべし。

男女同權の弁

近頃新しき人の男女同權などと唄ふる事あり。 其の人々にして心なくこの閨房を読むまば夫の求め欲する事は何時も唯々諾々として之に従ふべしとあるを見て或いは不満の心あるべし。 之実に思はざるの甚だしきものなり。
由来家庭の於ける男女同権などは我が日本の国体に叶はぬのなり。 夫唄婦和掟は我国の美風として傅へらるゝ所なればなり。 若しに家庭の内にも男女の同權を認むるものとせよ。 されど神聖なる閨房の裡には及ぶ可らざるなり。
何となれば同權とは權利義務の男女均等にてあらん事なり。 家事の方針一家の経済等の事に就きては妻亦充分その意見を述べ、その主張を云ふも宜しからん。
然れども人間交合の道は実に本能の命ずる処、人情の疑る所にして權利義務なんど浅はかなるものに非ざるなり。 夫にして妻を可愛しと思へばこそ之を妻に求むるなれ、然らずして唯々色欲の満足をのみ得んと思はヾ何ぞ必ずしも妻を煩はすの要あらんや。 至る処に女ありて媚を呈して男を迎ふるに汲々たるものあるなり。
妻としても亦夫は我身を可愛しと思えばこそ求むるなれば感激してこれに従ふなり。 閨房は実に權利義務の侵入を許さヾる別天地なるのみならず、一旦此処に交合の大道に従ふ時は主人の威厳もなく妻としての静淑もなく、唯男女渾然一体に抱合ひ溶合ひて自然のまゝに天賦の偸悦を賛美する所にあるなり。
さらば家事の方針、一家の経済等の事に就いて夫婦意見を異にし夫に不快の念ありたりとするも、若しその夜妻より交合の事求め見を粉にしても夫を楽しましむるの誠を腰の仂きを示さば昼の不快は、たちどころに消去りて再び和合の基を開くべし。
之に反して夫婦如何ほど理性の一致を見るとも、一夜夫より之を求むるも妻快く受けず、仮令従ふとも誠の情を尽さヾれば、夫の心や果して如何なるべき。 古より「食物の怨みと色の怨みは生涯忘れず」と云ふ諺あり。 家庭の不和実に之より生じ、夫は遂ひに他の女に心惹かるゝに至り一家の破綻は真に此の事に因って起るものなり。 家庭既に破れなば何の同權かあらんや。 云う者深く心すべき事にこそ。

種々な方法に就いての心得

一、本間(龍飛形)

本馬とも書く。 支那にては竜飛稱へ通人は之を四ツに組むとも云ふ。 即ち最も普通なる仕方にして我が身仰向けに臥し股を拡げ夫は両膝にて我股の間に入りて腹の上に掛り臥し、両手を我が脇の下より差入れ肘を突き肩を抱くの法なり。
何れの法なりとも、交合に先立ちて堅く抱締めて口を吸ふは閨中の礼儀なりと知るべし。 又夫の努めとしては、女陰に男根を臨ます前に、手にて様々に之をなで擦り、指にて弄廻す事を要するなり。 これ単に女陰を潤はしむるのみならず、妻をして情を催し気を起さしむるの妙諦なり。

さて斯くして始めんには先ず右手にて男根を握り把り締めつ弛めつしながら我が陰門に導き亀頭既に其の口に入らば、両手を夫の腰にかけ、両脚を床に突立て充分に我が腰を張り、厳しく抱締め急に女陰を持上げて先ず一気に根本まで刺込むべし。
面して夫の腰の仂きに従ひ、よく調子を合わせて我が腰を揺り動かすなり。 女の腰の仂き唯上下にのみ動かすは我も夫も共に興少き業なり。 上下に揺り動かすと同時に、前後左右に捻り廻らし、恰床の上に平仮名の「の」の字を書く様にする時は、男根の雁首が女陰の内側に到る処に当りて、我が身の全身痺れる如くに快くなるものなり。
此の仕方につき特に心得べきことは、我が足を長く伸しあるべからず。 又初めより脚を挙げて夫の腰に絡みつくははよろしからず斯くする時は腰の仂き自在ならざるが故なり。 専ら足裏を床につけて両脚を立て膝に夫を挟み、上体は緊と夫に縋り付き、我が腰は自由に揺り動かすに便なる様に常に浮かしてあるべし。 持ち上げる時は肩と足とにて身を支ゆるなり。

漸く抜き差し自在に充分擦合せ、夫の将に精汁洩れんとするに至らば、其の時こそは両脚を高く揚げて夫の腰に纏ひつき両手にて緊と抱き付き口を吸ふと同時に、我が両脚の踵を夫の腰の亀骨の辺りに当てゝ確固と引締め、我が臀を左右に揉みて、毛と毛が充分磨り合う様に女陰を強く付くべし。 此の時も尿を堪ゆるが如く息を呑み、陰孔にて男根を固く締付くることは忘るべからざる努めなり。
此の仕方二、三の変法あり。

一は我が片足を夫の肩に掛けて行うなり。

他の一つは両脚を高く張り揚げて我が手にて我が膕を抱き、強く腹の方に密着と引寄せ、夫は半ば起上りて両肩にて我が脚を押上げ、両腕を我が脚の外より廻し、我が帯を引掴みながら男根を刺込む法なり。
前者を肩車又は鳳翔形と云ひ、後者を蝦攻め又は亀騰形と稱するなり。 凡そ女その両脚を高く揚ぐる時は、女陰正しく上の方に向ふが故に、之を以て良しとする者あれども、両者とも落ち着かぬ仕方にてあるなり。

二、茶臼(兎吮形)

挽茶に用いる石臼の下より軸出て上の石に穴ありて此の軸に嵌るが故に之に譬へて云ふなり。 支那にては兎吮形(とうこうがた)と云ひ。 俗には之を道鏡振と云う。 蓋し僧道鏡が女院を犯し奉る時、臣として君を下に敷くは畏多しとして案じ出せる仕方なりと傳ふるが故なり。
即ち、夫を仰向けに臥さいめ、我が身は 之に跨りて行う仕方なり。 此れ夫の疲れたる時、或は不機嫌なる折りに一切の仂きを我が身一つに引受けて切廻す方法にして、妻の誠の見せ処なれば良く心して行ふべきなり。 故に始めより終りまで一切夫の手を煩はさず、夫の力を借りぬ積りにて行ふこと、この仕方の妙味にてあるなり。
この仕方にて予め心得置くべきは唯夫を仰向けにして跨る時は夫の腰低過ぎて交合の途中快き処にて往々男根の抜け脱れる事もあるものなれば、先ず座布団二つ折り位のものを夫の臀に当て支ひ腰を高くして始める事、斯くして始めは上半身を起し膝をつきて打ち跨り、先ず男根の小さく軟かなる時は我が右の手にて強く握り、雁首の皮を被せたり脱がせたり、激しく抜き上げ抜き下ろし、又親指の腹に唾を付け鈴口の処を擦る様に弄廻せば、如何なる男根も必ず大きく逞しくなるべし。


此の時そのまま男根を握り、左手を下に突きて腰を揚げ、先ず雁首を我が吉舌に当てゝ強く磨り廻し、女陰の湿り来るを待ちて陰門の口に臨ませ、急に両脚を後ろに伸して腰を落し、一気に根本まで差入れ、夫の胸に寄り掛り緊と抱くべし。 此の仕方による時は、女の腰の仂き最も自在なるものなれば、上下はもとより前後左右に腰を捻り旋らし、常に雁首まで抜き出しては強く刺し込みて磨り付ける仂を続くべし。
斯くする時は夫如何に不機嫌なりとも如何に労れたりとも、必ず快くなりて下より厳しく抱き付き腰を揺り上げ持ち上げて終に気を逝り精を洩らすに到るべし。
此の仕方にも又変法あり。

一つを後茶臼と云ひ、次に述べる馬懸りと茶臼の法と組み合せたる仕方なり。 即ち我が身を後ろ向きにして跨るなり。 此の時は夫の腰に高き枕を入れ、臀を充分に後に突出す様にせざれば具合よく根本まで入り難きものなり。 我が両手は夫の脚を抱きて力とするなり。

又他の変法に居茶臼と云う仕方あり。 支那にては猿搏(えんばく)形と名づけ俗間にあぐらと云ふ。 これは夫が座りたるまゝにて膝を開き、我が身は夫に抱かれて其の腰に跨り我が手を以つて男根を女陰に受入れて後は、両手にて、夫の顔に縋りつき夫の両膝の間に臀を落し、両脚を夫の腰の周に絡みつけて行ふなり。
此の仕方にては夫の両手にて我が臀を抱き、締めつ弛めつ操ると同時に、我が足の踵にて夫の腰を前に引締めて調子を合はせ、我が両手の指を組合せて夫の頸にかけ、少し半身になりて女陰を突出す様にしながら左右に磨り合はせるなり。 之又日中など床なき折り行ふには寝転ぶよりも遙に味ある業なり。

三、駒掛(虎俯形)

一名後取りと云ひ、支那にては虎俯形と稱す。 我が身膝を立てゝ俯向に臥し、夫は後ろより我が臀に取り付きて、恰も犬馬の交尾むが如く行うなり。 此の仕方にて我が身両手をつきて肩を高くする事は禁物なり。 肘を平に突きてなるべく肩を低くし、額を床につけ我が臀を出来るだけ上に突出す様にせざれば、女陰よく男根に合ひがたきものなり。
斯くする時は夫の顔も見えず口も吸はれず縋りつく処もなくて、何んとなく物足らぬ仕方なれど一面には又宜敷き事もありて、夫は男根を刺込みて擦りながら後より手を廻して一方にて乳房を揉みて乳首を弄いじり、一方にて吉舌を撫でて様々に擦り玩び得るが故に、苦しく泣き出し度くなる程総身痺れて快くなるなり。
依って之を又「三所攻みところせめ」と云うなり。 唯我が臀が浮々として落着かず、やゝもすれば男根の抜けかゝるが玉に疵と云ふべし。 故に此の仕方には腰を余り前後には動かさず、何時も後に押付けながら横に擦り合はす様ににみ考ふべし。 この仕方の一の変法たる後ろ茶臼に就ては茶臼の段に述べたり。 他の変法に後横取り又は後並なるものあり。 此れは次の横取りにて述ぶべし。

四、横取(雙魚形)

俗に並とも云ひ、支那にては雙魚形(そうぎょがた)と稱す。 此は普通良く行はるゝ方法なり。

即ち我は右を下にし、夫は左を下にして正しく向い合ひて並び臥し双方枕せるまゝにて先ず例の如く抱締めて口を吸ひ我が身の脚を夫の上にして臥すは交合の前に女陰に手を仂かせるに便なる為なり。 此の仕方にて夫の慣れぬうちは下なる脚をなるべく腹の方に引上ぐる様にすべし。 此の法は気を長く保つには最も良き仕方にして又男根を差入れたるまゝにて眠るにも都合よき形なり。 先ず、此の仕方にて落着いて話しながら静かに擦り合い、いざ精の逝かんとする時は直に半転びして本馬に移り、然る後激しくするは心利きたる手順にてあるなり。

此の仕方の変法たる後並とは支那にて蝉附(せんぶ)形と云ひ、乃ち我が身後ろ向きになり。 左を下にして横に臥し、後ろより男根を受くる法なり。 これは如何にも都合よき仕方にして、我が左の腿の後側は夫の左の向ふもゝに密着せしめ、夫は右の脚を後ろより我が股間に割込みて膝を立て我が身の右脚をば後に廻して夫の右の腿に絡みて引締むるなり。 而して尚之に加ふるに三所攻めを以てすれば、我が身如何に堪ゆるとも思はず声を揚げて呻きもがくほど心よき仕方なり。 此の時も駒掛の時の如く女陰を充分に後に突き出す様に心懸くべきなり。

以上にして大体の仕方は尽きたるなり。 其の他には立とて立ちながら行ふ法をはじめ、淫書に記す尋ぬれば、親知らず子知らず、鶯の谷渡り、獅子の洞返り、仏壇返し等数々の手管を載せれども、多くは唯筆先きの空言にして実用叶わぬ事と知るべし。

碍さまたげありて受けらね時の心得

凡そ女には月に五、七日の碍り、此の間交合すれば男女共に心身を害ふべし。 又子を産みて後五十日の間に交合すれば産熱を起して死に至る事あり。 斯る時は夫が何程切に此を求むるとも双方の身の為を考えて従ふべからざるなり。
其の時に対処する心得如何。 総じて昔の女は嫉妬の念を去るを以て婦道の第一なりと思ひなしたれども、之、自然の情に非ざるものなり。 我が夫の他の女に通ふて見て心の中には嫉ねたみの火を燃やしながらも表面に平然と装ふ事を以て自ら美徳なりと考へしは誤れるも甚だしきものなり。 故に昔の妻は、斯る碍ありて夫の求めに従ひ兼ねる時は、我から夫にすゝめて他の女に赴おもむかしましものなれども、後に此の事禍わざわいの本となりて終には我が夫を人に奪はれ、我は怪しからぬ疾やまいを家内に持ち込まれて我が身も之れを患ふに至るなどの嘆きを見る事多かりしなり。 我が身に斯くやむを得ぬ碍りある時、夫の切に交合を求むる事あらば無下に情なくこれを断るべきにあらず、先ず穏和に其の事情を語りて夫の許を乞ひ、交合こそは出来ざれど我が身の何処なりとも役立てゝ、それにて満たされんことを頼み、決して他の女に心惹かれ給ふなと願ふべし。 即ち女陰に碍りある時、交合の他に夫の心を霽はらすべき法あり。 次に之を記すべし。

一、素股

素股は一に股姦とも云う。

之れに我が身仰向けにして前よりするのと、我が身を俯向けにして後ろよりするの二法あり。 何れも我が両腿を密着して両腿を長く伸し、会陰えいんの処を唾して充分に湿し、此の隙間に男根を受けて差し挟むの法なり。 夫は我が両腿に跨りて、交合の時と等しく抜き差して擦り、我が身も亦腰を揺り動かして之に応じるなり。 此の仕方にて夫の精汁洩るゝ時は、直ちに下に流れ出づるが故に、予め其の用意して紙其の他のものを下に敷き置くべし。

二、衆道

俗におかま、若しくは鶏姦とも云うなり。 我が肛門に男根を受入れる法なり。 此の時は我が身を馬懸の法の時の如くするか、或は又我が身を平ら俯伏し、股を拡げて之を受くるなり。 何れにしても男根肛門に入る時は、慣れぬ内は随分痛きものなれば、先ずはじめは人差指に充分に唾をつけて、肛門に差入れ、之を濡して之を弛め置く事肝要なり。

此の用意は又夫に委せて行はしむるもよし、而して男根を受くるに、初心にたはなかなかは入り難きものなり。 乃すなわちち其の時は夫をして肛門の口に充分唾を流さしめ先ず男根の雁首先を当てがはせ、我が身は口を大きく開きて息を吐き、尻は恰あたかも大便をいきむが如くにし、夫はその度毎たびごとに力をこめて少しづつ突き入れながら両手にて両の臀肉を左右に引分ける様にするなり。 勿論一気に深く這入はいるべきものに非ず。 此の時痛しなどと思ひて尻を窄せまむる時は却かえつて這入はいり難く却つて痛きものなるが故に、大便をたれながしてもよしと、思い切つていきみ続ける時は夫の押込むに従つて少しづつ入込むなり。
而も肛門は狭くして陰門と異なり強く堅く男根を喰ひ縛るものなるが故に、雁首の先だけ入り込む間に、早くも精汁洩るゝに至るものなり。 故に痛しと雖いえども僅の間の事なれば、家内和合の事なりと思ひ、我慢して之を受くべし。 尤もっともこの道も亦次第に慣るゝ時は呼吸を呑込めば痛くなくなり、のもならず我が身も却つて快く覚ゆる様になり、之を欲するに至るものなり。

三、口取

口にて精汁を吸取る法なり。 唇淫とも云ふ。

口にて行ふと云ふも大半は手にて之を助くるなり。 乃ち我が身は夫を仰向けに臥せる側に座し、右の手にて男根を握り、締めつ弛めつ抜き上げ抜き下げし、同時に唇にて雁首をくわへ、舌先に力を入れて鈴口亀頭の下辺を舐め廻すなり。 此の時また親指の腹にて鈴口を強く幾度も擦る時は、夫の気の行くを早め堪へられなく快くなるものなり。
而して手にて強く小刻みに摩擦すれば、男根次第に熱くなりて脈を摶ち夫の腰自然に高まり来るなり。 この時は精気洩れんとするなれば、心しよく口にくわへ精汁やがて迸り出づ。
凡そ男子の精汁には牛乳、鶏卵などの及ばぬほどの滋養あるものなれば穢しなどと思うべからず。


注: 全ての挿絵は原文にはなく、当頁編集者が独自追加挿入したものです。文章部は原文通り。

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